【No.24】南米最高峰アコンカグア山へのエクスペディション
目的・きっかけ
準備
トレッキングへ!
目的・きっかけ
アフリカのケニア山レナナ峰(4,985m)に登頂した頃から何となく漠然と南米に入ったら
6,000m峰に挑戦したいと考えていました。 今回の登山実行に後押しをかけたのが、
ケニア、そしてナミビア〜南アフリカのルート上で幾度となく会った裕一郎さんからの
1通のメール。そこにはアコンカグア登山時の様子がリアルに書かれていました。
やはり6,000m峰を踏んでみたいという想いに火が着いて実行に至りました。
準備
【1】.情報収集
インターネット、裕一郎さんからの直接の話、メンドーサ山岳局
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【2】.登山コースの選定
北方から入るノーマル・ルートと南壁から入るポーランド・ルートがあります。
前者は特別な登攀技術が不要で、後者は岩と氷河の壁を高度な登攀技術を以ってして挑戦できる
コースです。
僕たちは前者のノーマル・ルートで挑戦をしました。
入山するにはパーミッションが必要です。料金は時期によって変わります。
僕たちはミドルシーズンで入りました。
シーズン |
ハイシーズン |
ミドルシーズン |
ローシーズン |
時期 |
12月15日-1月30日 |
2月1日-2月20日 |
2月21日-3月15日 |
パーミッション料金(1人分) |
1,500 A$(約45,000円) |
1,000 A$(約30,000円) |
500A$ (約15,000円) |
※為替レート 1A$=30円で計算しています。
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【3】.装備の準備と調達
バーナーの燃料用で自動車用ガソリンを650mlボトル1本分。(実際に入れてる燃料は590mlです。)
予備を含め、トータルで3.5L持って行きましたが、約1L分余りました。
※トレッキング装備以外の荷物は、メンドーサで泊まった宿で預かって頂きました。
以下は、持ち物の情報です。
りゅうじ
▼装備として
ザック、ダブルブーツ×2、アイゼン×2、ピッケル×2、Hobo前掛けバッグ(ザックのフロント部に装着できるバック。ザックを下ろさないで地図やカメラ、おかしなどを取り出せるので便利)、寝袋(-25℃まで耐えられるやつ)×1、エアーマット×1、調理用バーナー、ホワイトガソリン、コッフェル、マグカップ、アーミーナイフ、
マッチ、ライター
▼身に着けるものとして
登山靴、ビーチサンダル、帽子(つばつきとニット帽)、サングラス、レインウェア上下、速乾性下着上下、厚手靴下、
コンパス、公園内地図、ヘッドライト及び予備電池
▼その他
食料(昼・夜)、ノート、筆記用具、貴重品、トイレットペーパー5ロール
荷物重量 約40kg
|
ひろこ
▼装備として
ザック、エアーマット×1、マグカップ
▼身に着けるものとして
トレッキングシューズ、泥除けガーター、ビーチサンダル、帽子(つばつきとニット帽)、サングラス、レインウェア上下、速乾性下着上下、厚手靴下、
コンパス付きホイッスル、公園内地図、ヘッドライト及び予備電池
▼その他
食料(朝)、行動食、ノート、筆記用具、貴重品、洗濯ばさみとロープ、釣り用バケツ、
デジカメ、ケア用品、虫除けスプレー、救急セット、トイレットペーパー5ロール
荷物重量 約20kg
|
※上記でレンタルしたもの
寝袋(-25℃対応のやつ)1、ダウンジャケット2着、ダブルブーツ2足 アイゼン2セット、ピッケル2、
フリース手袋・アウター手袋・オーバミトン各2
上記のレンタル料金は20日間のエクスペディションで1,500 A$(約45,000円)です。
1人分の寝袋は持っていたものを2枚重ね使用にして対応しました。
また、ダウンジャケットは品質の割りにはレンタル料が高い(50 USドル相当)するので自分で新調しておいた方が
よかったかなと思いました。
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【4】.その他情報
■アクセス
<行き>
メンドーサのバスターミナルからプンテ・デル・インカまで UPSALLA社が運行。
時間は6:00、10:00、14:00。
<帰り>
プンテ・デル・インカからメンドーサ。
時間は12:00、16:45、20:00。
運賃は往路が1人16 A$でしたが、復路は運賃が値上がりしていて20 A$になっていました。
■テントサイトについて
プラサ・デ・ムーラス以外は無料です。
◎コンフレンシア(3,400m) 川から水を引いている水場あり。公共トイレは1箇所。
◎プラサ・デ・ムーラス:通称 ベースキャンプ(4,300m) テントサイトを提供している会社が水桶で水を提供している。近くの川からも入手可。僕達の泊まったCAMPO BASE社はテント一張5ドル(アルゼンチンペソの場合15ペソ)
トイレはそのサイトが管理するトイレを使う。
◎カナダ(5,050m) 水場なし。雪渓を溶かして水にする必要あり。トイレなし。
◎アラスカ(5,380m) 水場なし。雪渓を溶かして水にする必要あり。トイレなし。
◎ニド・デ・コンドレス(5,560m) 水場なし。雪渓を溶かして水にする必要あり。トイレなし。
◎ベルリン(5,960m) 水場なし。雪渓を溶かして水にする必要あり。トイレなし。
カナダキャンプより上はトイレがないので、岩場の陰などで適当に処理をしますが、自分の汚物はプラサ・デ・ムーラスでもらえる汚物袋に入れて持ち帰らなければいけません。
下山時にプラサ・デ・ムーラスの入り口にて汚物回収があります。
■トレイル状況
迷う箇所はなし。
プラサ・デ・ムーラスまでは全く滑落するような箇所なし。
それ以降も富士山のようなトレイルだが、500mを越えたキャナレータは足を滑らすと数百m以上下に滑落する可能性がある場所なので注意が必要です。
また、アイゼンがなしでも登れるようなことを地球の歩き方のコラムでうたっていますが、
降雪があった場合、アラスカキャンプ(5,380m)以上はアイゼンがないと難しいです。
僕は、ニド・デ・コンドレス キャンプ(5,560m)以降はアイゼンを着用しました。
アイゼンは保険のためにレンタルするなり入手しておくべきです。
■日没時間
今の時期(2月上旬〜2月中旬)であれば、夜20時頃までライトなしで歩けます。
因みにプラサ・デ・ムーラス(4,300m)は谷間の間に位置するため陽が差して込んでくる時間が9:30過ぎ、
日没が19:00過ぎでした。
それより上のニド・デ・コンドレスでは日の出が9:10、日没が20:30過ぎだったと思います。
■地図調達
メンドーサのアウトドア店で5万分の1の地図を購入しました。値段は45 A$でした。
アコンカグアの地図→
■アウトドア用品の調達
メンドーサには、独立公園広場周辺に数店舗アウトドア店兼装備レンタル屋さんがあります。
販売しているものは限定的で品質の割りには価格設定が高いという印象を受けました。アウトドア用品ならばサンチャゴの方がレパートリも広く良質のものが安価で入手できるので、
そちらで調達しておいた方がいいかもしれません。
対応もよく、比較的レンタル商品の質が良かったのは下記のお店。
店舗名:LIMITE VERTICAL
住所:Av.Sarmiento 675 Ciudad Mendoza
tel:0261-4231951
■行動食の内容
木の実、ドライフルーツ(昼食と兼用)、飴300g
■準備した食料
朝 |
昼 |
夜 |
米3kg(夕食と兼用)、オートミール 1,150g |
クッキー 1,800g、木の実 770g、ドライフルーツ 480g |
米3kg(朝食と兼用)、スープ5袋、マッシュポテト1kg、粉チーズ500g、缶詰め380g |
その他嗜好品: ココア 360g、粉ミルク 800g、砂糖 1kg、ジュースの粉7袋
その他、ベースキャンプで外食をしたもの
ロモステーキ 42 A$×2、ハンバーガー 25 A$×2、ピザ×3枚 105 A$
登山口近くで外食したもの
ハンバーガー 15 A$×2、ジュース 7 A$、ビール 9 A$
■食事の内容
※14日目の夕食〜15日目の昼食はそれぞれベースキャンプ、登頂アタックと分かれていたので
食事内容が異なります。
DAY |
朝 |
昼 |
夕 |
おやつ |
1日目 |
- |
ビスケット、水 |
お粥、野菜スープ |
飴 |
2日目 |
お粥+塩、ココア |
ビスケット、水 |
マッシュポテト、野菜スープ、チキンスープ |
- |
3日目 |
お粥+塩、ココア |
ビスケット、紅茶 |
お粥、野菜スープ |
飴 |
4日目 |
お粥+塩、スポーツ飲料 |
ビスケット、紅茶 |
お粥、チーズスープ |
飴、砂糖 |
5日目 |
ビスケット、ココア |
お粥、チーズスープ |
ロモバーガー、紅茶 |
飴 |
6日目 |
お粥、チーズスープ、ココア |
ビスケット、紅茶 |
お粥、チキンスープ |
− |
7日目 |
お粥、チキンスープ、ココア |
ビスケット、水 |
お粥、チキンスープ |
− |
8日目 |
お粥、オニオンスープ、ココア |
ビスケット、紅茶 |
ハンバーガー |
− |
9日目 |
記録なし |
記録なし |
記録なし |
− |
10日目 |
オートミール、ココア |
ビスケット、紅茶 |
ピザ |
− |
11日目 |
オートミール、木の実 |
ビスケット、木の実、水 |
マッシュポテト、チーズ、コーンスープ |
飴、チョコ、砂糖 |
12日目 |
オートミール、ココア |
木の実、水 |
マッシュポテト、チーズ、コーンスープ |
飴、チョコ、砂糖 |
13日目 |
オートミール、ココア |
木の実、水 |
マッシュポテト、チーズ、野菜スープ |
- |
14日目 |
オートミール、ココア |
木の実、水 |
(Hiroko)お粥、缶詰め、チキンスープ (Ryuji)マッシュポテト、野菜チキンスープ、紅茶 |
- |
15日目 |
(Hiroko)木の実、ココア (Ryuji)オートミール、ココア |
(Hiroko)マッシュポテト、チーズ (Ryuji)ポカリスェット |
お粥、缶詰め、チキンスープ |
紅茶、ドライフルーツ |
16日目 |
お粥、塩昆布
|
木の実、紅茶 |
ご飯、スープ |
- |
17日目 |
オートミール、ココア、紅茶
|
ハンバーガー、ビール、ジュース |
- |
- |
計52食
登山へ!
■2月3日(DAY1) 快晴 メンドーサ → オルコネス 所要時間4時間 移動距離180km
歩いた区間:オルコネス(2,850m) → コンフレンシア(3,400m) 歩行時間4時間 行距離約7km
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
プンテ・デル・インカ行きのバスがインカより先のオルコネスに到着したのは15:00頃だった。
強い日差しの下、20日分の食料や冬山装備がぎっしりと詰まったザックを背負い歩き出した。
荷物は今までにないくらい重い・・・。僕の荷物は約40kg、ひろぴんの荷物ですら20kgだ。
←オルコネス(2,850m)前の公園入口前。近くにはチリへ抜ける国道が走っている。
オルコネスの国道から1kmほど上がっていくと入山パーミッションを提出する建物がでてきた。ここで
下山時に提出するゴミ袋を貰って手続きは完了だ。
←ここでパーミッションを提出する。
ここから約4時間、重い荷物との闘いが始まった。標高こそ3,000mそこそこでまだ空気の薄さは感じないものの、
ちょっとした登りが出てくる度に予想外に体力を消耗してしまうという有様であった。
多くの外国人クライマーは、ムーラ(荷物をプラサ・デ・ムーラスまで運ぶ馬とロバのあいの子)を使って荷揚げを
しているので、身軽そのものでスイスイとトレイルを歩いていた。僕たちは150 USドルの出費を惜しんで
、これは「高度順応」の一環だと自分達に言い聞かせて荷揚げをしたのだ。
←緩やかな登りが始まる。遠くに見える山がアコンカグア。
←ほとんどの人がムーラを使ってベースキャンプであるプラサ・デ・ムーラスまで荷揚げする。
僕達がバテバテでコンフレンシアに着いた時には19:00をまわっていた。キャンプ場は多くのクライマーで賑わっていた。
←コンフレンシア(3,400m)。プラサ・デ・ムーラスへ行く前に一旦ここで高度順応をする。
■2月4日(DAY2) 快晴 コンフレンシア(3,400m) ⇔ プラサ・デ・フランシア前のミラドール:スペイン語で見所という意味(4,000m) 歩行時間5時間 歩行距離15km
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
標高3,000mを越えるとあって朝は肌寒い。水場に噴射した水滴が凍りついていた。
この日は高度順応日。標高4,000m地点まで行って帰ってくることにした。
特に難しくもない富士山のようなちょっとしたトレイルと高地特有の緩いだだっぴろい緩いトレイルを上がって行くと
アコンカグアの南壁(通称:ポーランドルート)が姿を現す。
←南壁。ポーランドルートとして知られる。
高度順化はうまくいっているようで、二人共快調に歩を進めてこの高度順応トレッキングを楽しんだ。
■2月5日(DAY3)快晴 コンフレンシア(3,400m)にて休養。
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
特に何もせずゆっくりした1日だった。休養を入れて高度順応をしておくことも大切だ。もしプラサ・デ・ムーラスで
高山病にかかってしまったら、また最初から高度順応をやり直さなければならない。
←コンフレンシアのキャンプ地で休養。
■2月6日(DAY4)快晴 コンフレンシア(3,400m) → プラサ・デ・ムーラス手前(4,100m) 歩行時間9時間30分 歩行距離約13km
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
この日も快晴。この辺り一帯の太平洋を越えたアンデス山脈側は年間降水量が600〜800mmと雨量が少ないそうだ。
標高3,500mを越えると荒涼とした風景が続くのもその影響なのだろう。よって乾燥した気候帯となる。
朝7:00にコンフレンシアを出発した。3日分の食料と燃料が減ったとはいえ、相変わらず荷物は重い。
ここコンフレンシア一帯も谷間の間に位置しているので、日が差し込む時間が遅いため朝は寒い。
体が温まり始めるまでの最初の1時間は動きが鈍かった。 さらに言えば歩き始めは標高3,400mのコンフレンシアから
一旦、川沿いに面した谷底まで標高を下げ(3,300m)、再び登り返しとなる。登山をするというのに精神的に標高を下げるのが
嫌だった。
そんな嫌味なトレイルコースもクリアし、速度が遅いながらも着実に高度を上げていくこと更に1時間、広大な
谷間の間に出た。標高にしておおよそ3,600mくらいだろうか。ここからは10数kmの距離をかけて標高4,100mくらいまで
ゆっくりと上がっていくトレイルだ。緩やかに高度を上げていくので歩いている人にしてみれば、山を登っている
感じがしないかもしれない。
←丁度陽が当たり始める時間帯にゆっくりと高度を上げ始める谷間に出た。
ここから僕たちの体力消耗戦が始まった。標高が高いとはいえ日中の日差しはとても強く暑い。しかし体を動かすのを止めてる間に
風が吹くと寒い。このギャップが大きく着替える度に要らぬ体力を使うことになった。
そして、斜度が緩やかとはいえプラサ・デ・ムーラスに入る前のトラバース地点まで随分と距離があり重い荷物が更に
体力消耗に拍車をかけた。
結局、この日は体力の消耗が激しかったので16:30頃、僕たちはトラバースが始まる30分くらい手前の岩陰でテントを張ることにしたのだ。
時間的にプラサ・デ・ムーラスへ行けないこともないが、ヘロヘロになってテント張りをするより
まだ体力に余力がある段階で体を休め、翌朝に体力が回復した状態でプラサ・デ・ムーラスを目指すという結論に至ったのだ。
←途中の岩陰でテントを張った。
テントを張ったのはいいが、水が少なくなってきていた。
コンフレンシアからプラサ・デ・ムーラス間は途中に清流が流れている場所が1,2箇所あるものの、途中で止まるつもりはなかったので
必要な水しか調達してこなかったのだ。しかし、僕たちは歩くのを中断することにした。でも、水がなければ何もできない。
結局、仕方がなしに近場の赤土を含んだ濁流の水を煮沸してお茶を飲んだ。
←この水をお茶にした。1回や2回飲んだところで死にやしない。
お茶を飲んだり夜ご飯を食べたりして、歩きくたびれくたくたになった体を労わった。
■2月7日(DAY5)快晴 プラサ・デ・ムーラス手前(4,100m) → プラサ・デ・ムーラス(4,300m) 歩行時間2時間30分 歩行距離約3km
高度順応で プラサ・デ・ムーラス(4,300m) ⇔ カナダキャンプ(5,050m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
朝、8:00にプラサ・デ・ムーラスを目指して再び歩き始めた。
一晩、体を休めたせいか前日より荷物が重く感じなかった。しかし、外は相変わらず
日が差すまでは寒い。体が温まり本調子になるまでに1時間が必要だ。
最後の標高差約200mのトラバースを抜けプラサ・デ・ムーラス(通称:BCベースキャンプ)
に到着したのは歩き始めてから2時間半後だった。やっと重い荷物から開放されたのである。
午後は高度順応に充てることにした。この日の目的地は標高差約700mあるカナダキャンプ。
あるデータによれば片道3時間の行程であるが、僕たちは荷物から解放されちょっとした飲料水と行動食だけを
持って高度順応に出かければよかったのであまり深刻には所要時間のことなど考えていなかった。
それに、パタゴニアほどではないにしろ、ここアコンカグアも19:00過ぎには太陽が山に隠れてしまうとはいえ、
20:00頃までは十分に活動できる射程範囲にあった。
実際に高度順応にでかけると、最初にひろぴんが軽度の頭痛を訴えた。ついに出た。高山病の兆しだ。多くのクライマー達が
ここプラサ・デ・ムーラスで最初の高山病の症状を訴える。直近に高地へ行ったことがある人意外は。
ひろぴんが最初の症状を訴えたのは標高4,700m地点だった。朝からの行程を含めて考えると標高差600mも高度を上げていることに
なる。大事をとってひろぴんはここで高度順応を打ち切った。
僕は全くと言っていいほど、高山病の症状が出なかったのでそのまま標高5,050mのカナダキャンプまで高度を上げて
その日の高度順応とした。
カナダキャンプまでは2時間30分かかり、プラサ・デ・ムーラスまでの下山は30分弱だった。
←カナダキャンプ(標高5,050m)。風の煽りを大きく受けそうな場所だった。
■2月8日(DAY6)快晴 高度順応日(りゅうじのみ)プラサ・デ・ムーラス(4,300m) ⇔ アラスカキャンプ(5,380m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:疲労気味
僕は昨日に引き続き高度順応活動日に充てた。
一方、ひろぴんは今朝のメディカルチェックで脈拍も血圧の数値も良くないということで医者から上に行くのを止められてしまった。
僕だけカナダキャンプより更に標高が高いアラスカキャンプまで行くことにした。
カナダキャンプまでは昨日より1時間早い1時間30分で到着した。かなりのスピードだが身軽さと
体調の良さが手伝ってこの記録を出せたのだろう。カナダキャンプでは20分の休憩を挟んで
アラスカキャンプへ向けて歩いた。アラスカキャンプは下から見上げた稜線の上にある。
カナダキャンプを過ぎてからは体の動きが少し鈍くなってきた。標高5,000mを越えると空気中の
酸素濃度は地上の50%以下になる。その影響だろうか。
プラサ・デ・ムーラスを出て2時間50分後、アラスカキャンプに着いた。ここもカナダキャンプ
同様に風の影響を受けそうな場所だった。アラスカキャンプの稜線に出ると
更に遠くに小高い丘が見えた。そこには岩がありその間から旗がはためいていており、ニド・デ・コンドレスの
キャンプ地を示していた。アラスカキャンプからの標高差はおおよそ200m、ゆっくりと山腹をトラバース
しながら高度を上げていく比較的楽なコースのように感じた。
この日も高山病の症状が全く出ずに済んだ。
■2月9日(DAY7)快晴 高度順応日 プラサ・デ・ムーラス(4,300m) ⇔ 5,200m地点
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
ひろぴんの調子が良さそうなので、アラスカキャンプまでの高度順応を予定していた。
先日、ひろぴんが引き返した4,700m地点を過ぎ、カナダキャンプに着いたのは2時間30分後。
なかなかのペースである。ここで30分くらい滞在して体を慣らしてアラスカキャンプへ向かうも
5,200m付近でひろぴんが軽度の頭痛を訴え始めたので、プラサ・デ・ムーラスへ引き返した。
■2月10日(DAY8)快晴 休養日 プラサ・デ・ムーラス(4,300m)
りゅうじ:疲労気味
ひろこ:体調良好
とりあえずは2人とも5,000m付近での高度順応が出来ている。僕もコンフレンシアを出て以来、休養を入れてなかったので
休むことにした。休むとは言ってもプラサ・デ・ムーラスの周辺を散歩したり近くの川で水を調達して洗濯をしたりして
体を慣らすことで高度順応をするのである。
そして今日僕達に色々な情報を教えてくれたユウイチロウさんがここプラザ・デ・ムーラスにあがってきた!ハイシーズンにも一度入山し、サミットに立てなかったのが悔しいといって再度ミドルシーズンにアコンカグアに挑戦しに来たのだ。
ユウイチロウさんがここに到着した時、僕らはテントにいたのだが、ユウイチロウさんの姿を見つけると二人ともテントから飛び出して彼を迎えた。
僕らも疲労困憊したあの道を通ってきたんだなぁと思うと、妙に親近感がわいてユウイチロウさんと堅く握手を交わした。
■2月11日(DAY9)快晴 プラサ・デ・ムーラス(4,300m) ⇔ ニド・デ・コンドレス(5,560m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
前日、仲良くなったアメリカ人2人組に登頂アタックする日までの行程表を見せてもらった。
彼ら曰く、その行程表はエベレスト登頂に成功したある隊のものをそっくりそのまま採用しているとのことだった。
内容をよく見ると、高度順応後には高度を上げずに基本はベースキャンプ、つまりプラサ・デ・ムーラス
に泊まり高度順応後には必ず休養日を入れていることが特徴だった。
僕たちもこの行程表の一部を採用することにした。
その第一段階が、一気に5,500mまで上がりプラサ・デ・ムーラスに戻ってきて休養するというもの。
こうして、この日の高度順応が始まった。
カナダキャンプを難なくクリアし、先日ひろぴんが頭痛を訴え始めた5,200m付近もクリアした。
カナダキャンプを過ぎると風が吹くようになり少々寒いが、特に何も問題なくアラスカキャンプに着いた。
ニド・デ・コンドレスまでは標高差にしてわずか200m。ここからが長かった。標高5,000mの世界では
酸素の供給量が少ないために、少し歩いただけで息が上がる。それでも着実に歩を進めプラサ・デ・ムーラスを
出てから4時間30分後にはコンドレスに着いた。ここでは15〜20張りくらいのテントがあり、見晴らしの良い気持ちいい場所だった。
■2月12日(DAY10)快晴 休養日 プラサ・デ・ムーラス(4,300m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
休養日。洗濯をしたり装備のパッキングをしたりしてのんびりと過ごした。
■2月13日(DAY11)快晴 荷揚げ日 プラサ・デ・ムーラス(4,300m) → ニド・デ・コンドレス(5,560m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
一昨日の高度順応とは違い今回は全荷物を荷揚げする日だ。
10日分の食料と燃料は減っていたが、それでも僕のザックは30kg以上あっただろう。
朝8:50、またもや重い荷物を持ってゆっくりと着実に高度を上げていく作業が始まった。
さすがに身軽時とは違って歩くスピードが遅い。どんどん高度順応をしている人たちに抜かれていく。
結局、ニド・デ・コンドレスに着いたのは17:00頃。何と8時間もかかってしまった。
後から、仲良くなったアメリカ人の1人(Bob)もここ上がってきた。一緒にいた相棒はカナダキャンプで頭痛がし、
プラザ・デ・ムーラスに引き返したそうだ。
そして更に1時間後、ユウイチロウさんも上がってきてテントを設営開始した。
■2月14日(DAY12)快晴 Ryuji 高度順応ニド・デ・コンドレス(5,560m)⇔ コレアキャンプ(5,950m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
先日の荷揚げで体力を消耗したので、ひろぴんは休養。
僕は高度順応を兼ねてさらに高度を上げることにした。
コレアキャンプまでは片道2時間で到達し、下山は1時間だった。
さすがにこの標高まで上がってくると日中の日差しが強いとはいえ寒い。
この日の夕方、隣にテントを張っていたBobが頭が痛いと言い出す。結局彼はテントを撤収して
プラサ・デ・ムーラスに下ることになった。
■2月15日(DAY13)快晴 休養日 ニド・デ・コンドレス(5,560m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
一晩中、風が吹き荒んだ。テントの中は結露し凍りついていた。時折風に吹かれるとテントの天井から薄氷がパラパラと顔の上に落ちてくるのには参った。
更には寝袋の表面、枕元に置いたお湯を作り置きしていた水筒までも凍り付いていた。
トイレに行くだけで指先が凍傷になりそうな感じだ。ひろぴんはこの寒さで頭痛が更にひどくなったようだ。
■2月16日(DAY14 )快晴 Ryuji ニド・デ・コンドレス(5,560m)→ ベルリンキャンプ(5,930m)
hiroko ニド・デコンドレス(5,560m) → プラサ・デ・ムーラス(4,300m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
← ニド・デ・コンドレスのキャンプ地。とにかく寒かった。
僕はこの時点でも高山病の症状が見られなかったが、ひろぴんが軽度の頭痛が治らないと訴える。
僕はユウイチロウさんと一緒にベルリンキャンプに上がることにし、ひろぴんはユウイチロウさんのテントごとプラサ・デ・ムーラス
へ下りることになった。
←ベルリンキャンプ、頂上アタックを一緒にかけたユウイチロウさん(左)と僕(右)。
後からひろぴんに聞いたことだが、下山には4時間近くかかったそうだ。対する僕たちも荷物を背負っていたために
ベルリンキャンプに上がるまでに4時間かかった。
近くには掘っ立て小屋が2つあり、その隣にテントを張った。植村直己も昔、ベルリンキャンプの小屋で休養をとり、そこから
アタックをしたという。おそらくどちらかの小屋なのだろう。
←ベルリンキャンプの小屋の前にて立つ僕。
高度6,000m近くともなると日没も山の向こうに仰ぐことができる。明日のアタックに備え
雪を溶かして水を作っている間、ユウイチロウさんと交互で景色を見に行くことにした。
■2月17日(DAY15 )快晴 Ryuji ベルリンキャンプ(5,930m) → 頂上アタック → プラサ・デ・ムーラス
Hiroko 休養日 プラサ・デ・ムーラス(4,300m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
いよいよ頂上アタックをする日がきた。
朝4:00起床。外は思ったより全然寒くない。気温−3℃。無風。雲もない。アタックするには条件がいい日だ。
6:00ベルリンキャンプ出発。
コレアキャンプを経由して楽なルートをとる。
出発して1時間を経過した頃、お腹の調子が芳しくないことに気付いた。事は途中で済ませたものの、今度は
吐き気を催してきた。軽度の高山病か?でも頭痛はなかったので、引き続き登り続けた。
← 影アコンカグア。標高6,100m付近で撮影。
体調の方は小康状態だ。同じペースを保てば問題なさそうだ。
10:20頃、インディペンデンシアの掘っ立て小屋の近くでユウイチロウさんが今日はここで引き返し、明日もう一度アタックを
かけると言い出す。そういえばペースがだいぶ乱れていた。本調子ではないのだろう。
僕は天候と体調が安定している限り先に行くことにしそこで別れた。
食欲はなく行動食を食べる気にはなれなかったが、順調に高度を稼ぎ続けた。
6,500m付近、つまりちょっとした稜線に出始めて少し経った頃、軽く頭痛がし始めた。
活動中に頭痛の症状が出るのは今回の山行では始めてだ。おそらく高山病の症状だろう。
少なくても標高6,000m付近までは高度順応がうまくいっていたハズだ。が、症状が出てきてしまった。
致命傷にならない程度の頭痛だったので、もう少し先へ進みながら様子を見つつ登山を継続することにした。
6,600m付近、頭痛は相変わらずだ。少し休んで先に行くべきかどうかを冷静に考えようとしていた。
今日アタックをかけた人は10人くらいだろうか。先を行く人たちの姿が見える。
ふと、空を見上げた瞬間、いやなものが視界に飛び込んできた。山頂の方からモクモクとガスが出始めてきている。
そのガスはどんどん成長し、見る見るうちにこの一帯が大きな雲に飲み込まれようとしていた。
ここで僕の登頂アタックは終わった。これ以上先に行くのはリスクが高過ぎる。
天気は間違いなくこれから荒れるだろう。そんな中を進んだとしても、体調がすぐれない今の状態だと下手をしたら体を動かせなくなる可能性がある。
待っているのは凍死だ。体力があるうちに引き返そう。
13:00頃、下山開始。
途中、右足のアイゼンが2回ほど外れたことにも気が付かず小走りで下山をしていた。
下山をしているとはいえ標高はまだ6,000m以上の世界である。アイゼンを探しに低酸素の中を
登り返しをしなければならなかった。
それでも1時間後の14:00頃、ベルリンキャンプに戻った。
僕はここで、ユウイチロウさんと合流し寝袋などの自分の荷物をピックアップして一気に
ひろぴんの待つプラサ・デ・ムーラスまで下ることにした。
ユウイチロウさんの体調も快方に向かっていると言う。
ユウイチロウさんが作ってくれた暖かい紅茶を何杯か飲み、14:40頃、ベースキャンプへ下山開始をした。
天候はどんどん悪くなり、雪と雹が降ってきた。それでも足取りは快調で16:30頃にはアラスカキャンプ
を通過した。ここでの標高は5,300m程だ。これでも空気中の酸素濃度は地上の半分であるが、だいぶ呼吸が楽に
なったと感じた。しかし、この辺りを過ぎた頃から体のスタミナが切れてきた。下山でかつ酸素濃度も高くなってきている
のに足のいうことが利かなくなってきた。最後はベースキャンプ近くでまたもや雹にやられ登山をするスピード
並みでの下山をすることとなった。こうして17:50頃、無事、ベースキャンプへ辿り着いた。
←ベルリンキャンプより上は悪天候になり始め、夕方にはベースキャンプも影響がでた。
■2月18日(DAY16 )快晴〜曇り〜雹〜雪〜雨〜晴れ プラサ・デ・ムーラス(4,300m) → コンフレンシア(3,300m)
りゅうじ:体調良好
ひろこ:体調良好
いよいよ今日はアコンカグアから下山を開始する日だ。
10:15、全ての撤収準備を終え、プラサ・デ・ムーラスから下山を開始。
ザックの食料やら燃料やらがだいぶ減り登山時には40kg近くあった僕の荷物も25kgくらいの重量に感じた。
←下山前の様子。
こうして順調に下山を開始して13:00頃にはイバニェスに着きそこで昼食をとった。
朝は快晴だった山頂の方は雲がかかり始め天候が悪くなり始めている。
今日も頂上アタックをかけているユウイチロウさんが気がかりだ。このまま昨日と同じ状況になるのだろうか?案の定、15:00頃雹が降り始めた。
ここでの標高は3,700〜3,800mくらい。標高をだいぶ下げたが荒涼とした大地には逃げる場所も
隠れる場所もない。雹と雪に打たれながら歩を進め17:00過ぎ、コンフレンシアに到着。天候は何とか快方に向かってくれた。
←下山中に悪天候に見舞われました。
■2月19日(DAY17 )快晴 コンフレンシア(3,300m) → プンテ・デル・インカ(2,750m)
8:00、オルコネスへ向かって下山開始。
11:10頃、オルコネスに到着。
そこからプンテ・デル・インカまで歩いていき、17時前色々な思いを抱えた僕達を乗せたバスはメンドーサへと向けて発車した。
←ここまで下ってくると半袖シャツでも暖かい。
こうして僕たちのアコンカグア山行が終わった。
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